2014年12月 8日

紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている / 佐々涼子

紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている

本が大好きだ。電子書籍でなくて、できれば紙の本で手に入れて読みたい。
その本の紙を造っている人たちが、どんな場所で、どんな想いで、つくっているかなど全く考えたことがなかった。

東日本大震災、この大きな地震が日本の紙事情を大きく揺るがした。日本製紙石巻工場の被災。
日本製紙石巻工場の8号、出版用紙を製造する巨大マシンが止まる時は、この国の出版が倒れるとき…それほどの影響力のある工場が、機械が、被災して完全に機能停止してから復興するまでの物語。

単なる一企業の被災と再生ということだけではない、会社に属する一個人としての被災から、会社員としての被災、そこに生活していた人たちの被災の現実が、客観的に記されることで、逆に重みを持って明らかになる。

まだ被災地は復興していないことを、忘れてはならない。

 

街場の憂国会議 / 内田樹・編

街場の憂国会議 日本はこれからどうなるのか (犀の教室)

今、面白いと思っている書き手が、一堂に会した贅沢な本。
特定秘密保護法を成立させ、集団的自衛権の行使を主張し、憲法を解釈でどうにでもしようとする政治家が権力を握った今の世の中の「なんかおかしくない?」について、9人の論者が語る。

内田樹、小田嶋隆、想田和弘、高橋源一郎、中島岳志、 中野晃一、平川克美、孫崎亨、鷲田清一。

いろんな方面から面白い書き手が集まって、いろんな語り口や切り口で論考する。少しずつ知性に触れることできる贅沢な本。

ウチダ先生はよくおっしゃることだが、まったく同意!なので、ここに記す。
特定秘密保護法が成立されたことが大きなきっかけとなって、この本が緊急発刊(2014年5月)された。

「『たいしたことは起きやしない』とクールに構えることもできるだろう。けれど、そういうことを言う人は「たいしたこと」が起きたときには仰天して絶句することになる。そのくせ、しばらくするとまたしゃしゃり出てきて。「きっと『こんなこと』が起きると思っていた。こんなのは想定内」としたり顔で言うのだ。そういうのを若い頃から腐るほど見てきた。」

特定秘密保護法が成立したことを、民主制の危機と受け止めるか、「たいしたことは起きやしない」とクールに構えるのか。この本を読んでから判断してほしいと思う。

 

アトミック・ボックス / 池澤夏樹

アトミック・ボックス

作家には作品で社会に対して物申す、ということができる。社会派と言われる作家でなくても、それがあってしかるべきだと、私は思う。表現する人には、表現する人の責任がある。作品は、メッセージそのものなのだ。

そういう意味で、東日本大震災以降、池澤夏樹の小説がメッセージ性を強めているように思う。それがひとりよがりでなく、押し付けがましくなく、物語として優れている上でメッセージが伝わってくるその感じが、ちょうど良く心地いい。そのメッセージは、私に勇気をくれる。「ひとりじゃないよ、同じ想いの人はいるよ」と語りかけてくるかのように。

アトミック・ボックスは、池澤夏樹史上、一番読みやすい小説のような気がする。それだけ多くの人に読まれることを望まれて生まれた物語のようにも思う。読み始めると、先が知りたくて、とまらなくなる。どんどん読み進む。その社会や国に対する不信感や警戒感や小さな希望に、胸が熱くなる。小さなひとりの人間の意志と行動力が、ものごとを動かすことができる、という希望を信じたくなる。

私はアトミック・ボックスをハードボイルド小説として読んだ。父の罪、知らなかった過去、父の想いを背負って、確固たる意志を持ち走り始める娘…何が正義で何が悪なのか、それを超えて娘は父を信じて、走る。

ぜひ多くの人に読んでもらいたい、今、読んでもらいたい。

「人によって良心の値段は違います。私はこれでも自分の良心にけっこう高い値段をつけているんです」

「政治家は人間を数として見ますよね。有権者として見て、納税者として見て、守られるべき羊の群れとして見る。一人一人を見ていては国は運営できないと考える」「でも一人一人には、思いも、意地もあるんです。数でまとめられないものがある」「あなたはずっと政治家として高いところにいてもう忘れてしまったのかもしれませんが、私たち普通の人間はみんなけっこう真剣に誠実に生きているんです」

 

撮り・旅! / 山本高樹・編
撮り・旅! 地球を撮り歩く旅人たち (地球の歩き方Books)

世の中絶景ブームらしい。たしかに世界には絶景が散りばめられ、見ると心奪われる。壮大な景色、豪華な風景。それらを見るために旅に出たりもする。

でも、と思う。私にとっての旅は、観光名所巡りではない。見慣れた風景から離脱し、少し違う世界や風景の中に身を置いて、風を感じて空気を味わい人と触れ合い美味しいものを食べる! 絶景というより、慎ましくも豊かな風景が、だた、そこにある。

山本さんは当店を題材にした本「リトルスターレストランのつくりかた。」を編集、執筆してくれた編集者であり、ライターであり、最近はフォトグラファーである。そして無類の旅好きで、その旅は私の思うところの旅とスケールは違えども想いは共通しているように思う。その山本さんが、想いをともにできる素敵な写真を撮る旅人を集めて、一冊の写真集を作った。写真集だけど、想いのつまった文章がたくさん添えられた、渾身の一冊。どの風景も、豊かにそっと、そこにある。

 

2014年9月 8日

荒野へ / ジョン・クラカワー 
荒野へ (集英社文庫)

映画「Into the Wild」が良すぎて、帰りに原作本を買って帰った。

恵まれた境遇を捨て、アラスカの荒野に一人足を踏み入れた青年。
映画では時系列に近い形で、かれが荒野に向かう姿を描いているが、ノンフィクションである本書では、作者が青年のいた場所からさかのぼるような形で、青年が荒野に一人暮らすようになるまでを、その心理や行動を推理して行く。

彼は映画で描かれているよりも、ずっと自信家で、ききわけがなく、思い込みが激しいように思える。けれど、多かれ少なかれ、若いときには誰しもそういう風になりがちな気もする。ただ、彼は、徹底していた、徹底しすぎていた。それが羨ましくもあり、苦々しくも思える。

勉強もでき、スポーツもでき、お金持ちの家に生まれ、かわいい妹がいる。けれど両親に対する不信感、反抗、世の中に対する反骨心から、すべてを捨てて、ひとりの人間として、自然の中にただ生きることを選択する。
当然そうするまでには準備が必要だが、かれはあえて過剰な準備を避け、文明の利器を最小限に絞り込み、できるだけ己の力だけで、自然とともに暮らそうと試みるのだ。

けれど自然は、人間のパートナーではない。
ただそこにあり、時に恵みを与えてくれ、時に厳しさで容赦なく襲いかかる。
人間のことなど見向きもせず、都合など考えず、ただそこにある。

自然を礼賛することと、人間を軽蔑することは別のことであるし、逆もまたしかり。
謙虚にそこにありつづけること、というのは、思った以上に難しい。
人間の幸福とは? 青年が見つけたその答えは、私が日々感じていたことと重なる。

それは自然の中にただ一人いるときには、到底実現できない種類のしあわせなのだ。

   

 

存在の耐えられない軽さ / クンデラ
存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)

運命の人がいるなら、それは、どうやって分かるんだろう?

たとえば恋に落ちた時、それは永遠に続くようにも思われ、けれどいつか終わりがくる予感におびえ、心はいくつかの方法でそれに立ち向かおうとする。

運命の恋であると理由をあれこれつけ、それを確信するためにあれこれ策略を巡らし、試し、確認し、他の恋など存在しないように盲目的に一途になることで、不安と戦い続け、その選択が正しかったと自分にも相手にも確信させて行く人がいる。

すべてを受け入れ、すべてを引き止めず、ただ残ったものを必然としての幸福として享受する。そうなるべくしてそうなったと信ずる。ただ、自発的な動きを求められても、決して心の真ん中にあるものに反した動きはしないという静かな強さで、受動的でありながら人に求められ続ける人がいる。

何があっても相手を信じ、肯定し、神格化し、すべてのことをその相手からの贈り物とすることで、永遠の愛を手に入れる人がいる。そのことによって相手をある意味陳腐化しているのだとしても、幸福には違いない。

そして恋に意味づけをせず、心を軽く保つことで、自由であり続ける人がいる。意味付けした瞬間、言葉化した瞬間、それはキッチュに陥る、だから逃げる。あらゆるものから自由になり続けることは、存在が軽くなり続けることなのかもしれない。それでもキッチュに甘んじるより幸福なのか。

存在の耐えられない軽さに立ち向かう、そのやりかたは、やがて、人生と呼ばれるもののような気がする。

私には、サビナとトマーシュに共感できるものが多かった。

 

女のいない男たち / 村上春樹
女のいない男たち

なんだかとてもせつない。

分からないこと。思うようにならないこと。裏切られること。深入りしてはならないこと。傷つくこと。失うこと。

それらは、せつなく、つらく、悲しいことだけれど、避けては通れない。

言葉もなく、自分の井戸の中を覗き込む。井戸の底深く入っていく。

壁を抜けるためには、それもまた必要な行為なのだ。

 

横道世之介 / 吉田修一
横道世之介 (文春文庫)

恥ずかし気もなく言わせてもらえば、私は青春が大好きである。
青いことが愛おしい。甘酸っぱい。
私にとって恥ずかしく青く甘酸っぱい時代は、決して隠したいものではなく、愛おしく愛でるものである。

世之介の青さが、素直さが、能天気さが、単純さが、愛おしい。
けれどこの物語が、ただの青春小説以上に愛おしく感じられるのは、その青春時代を終えた大人側の世界(それは今の私側の世界) との行き来を繰り返すからで、大人が最初から大人でなかったことを痛感させられるからなのだろう。

しあわせになってほしい。
登場人物のすべてにそう願ってしまう、しあわせな小説である。

 

円卓 / 西加奈子
円卓 (文春文庫)

こっこ。なんて素敵な女の子なんだろう。いや、男前である。私もこういう子供でありたかった。

いや、ぽっさんは、もっともっと男前であるし。

自分が子供の頃を思い出そうとすると、「もや」がかかったようにはっきりしない。本当に私は自我の芽生えが遅かったような気がする。小学生の頃なんか、もうほんとに何も考えずぼんやり毎日生きていたような気がする。一瞬一瞬で鮮明に覚えていることもあるのだが、それも何気ない日常の一コマで、特に好きなものも夢中になるものもなくこだわりもなく、その日暮らしの子供。

子供ってそういうものじゃないんかい?

そういうものでもないらしい。

私も人生のどこかでスイッチが入って自我が生まれ、子供から抜け出した。そのスイッチが入るのは人それぞれのタイミングで入る訳で、選びようがない。
でもその自我スイッチが早く入ったら、人生もっと違うものになっていたんじゃないかな、と思う。うまくは言えないけれど。
この物語を読むと、自分のスイッチが入った瞬間を思い出しそうになる。

きらきらと輝きに満ちた物語。

 

しずく / 西加奈子
しずく (光文社文庫)

女同士って、素晴らしい。

女同士って、メンドクサイ。

女同士って、かっこいい。

女同士って、よく分からない。

女同士って、かけがえがない。

ぜんぶ、本当だと思う。

西加奈子さんの描く、本当すぎる話に、いつも衝撃を受ける。

素直で素直で、飾らなくて。率直というのではなく、的確。

ツボを正確に圧されすぎて、脳天まで気持ちよくなる。

 

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